2 その聖者たちの秘密
* 赤貧の聖者カイヤク ここでは、そうした生産性を超えて品性の高い生き方をした人の実例を紹介してみましょう。
もう既に今から20年近く前になりますが、その生涯をヨーガ修行に捧げ、インドでも有数なヨーガ行者として認められていた私のヨーガの師匠、スワミ・ ヨーゲシヴァラナンダ大師様がまだ存命であった頃に、大師様がヒマラヤ西部にあるカシミール地方のヒマラヤ山中で夏のヨーガキャンプを行っていた時に私た ちにお話下さった、ある聖者の暮らしぶりから紹介してみましょう。
それは、名前をカイヤクという、行者であり学者であった人物の話でした。その時私の師匠は、人間が大切にして守るべき事柄についてまず次のようにお話下さいました。
「インドには古くからダルマと呼ばれる、人が第一に大切にして守るべき事柄がある。だから、例えお金を得ようとしている時でも、私たちは正しい手段を使っ てそのお金を得る行為を行わねばならないし、その時にあってもまずは、お金を得ることよりもダルマを守ることこそを、目的にしていなければならない。お金 を儲ける方法は、不正や嘘や詐欺や騙しの手段に訴えることなどない、きれいな方法でなされなければならない。
また、隠し立てしたお金など持っていてはなら ない。それ故に、もしも正直できれいな手段で財産を手にしていれば、却ってそれは健康な肉体造りに寄与してくれるし、心の中に平安な調和状態を造り出す為 にも非常に役立つはずである。『生業(なりわい)は人を造る』と世間では言われているが、ある人物の持つ性癖や見解、性質、考え方はその人物の生業によっ て身について来るものである」と、この様に前置き為されてから、次のような聖者カイヤク師の話をされたのです。
「今あなた方が居るこのカシミール地方には、遙か昔にカイヤクという一人の聖者が住んでいた。この聖者はいつも、スリナガルの町のシャリマール・バーグと いう名前の場所に住んでいたと言われている。この聖者カイヤク師は豊かな学識に恵まれた人物であったが、俗世から隠遁し苦行に身を捧げていた修行者でも あったので、決してお金を直接手にすることがなかった。常日頃はその日一日の食べ物を入れられるだけの乞食椀を一つ持っているだけで、真に自制の生活を 送っていた聖者であった。日頃の食も極めて少なく、ほぼその一日を瞑想と三昧の境地にあって著述と思索とに耽って過ごしていたのである。当時このカイヤク 師は、サンスクリットの文法書として今日にあっても高く評価されているマハー・バシヤという書物を著すのに忙しい日々を送っていた」
この様に、現在でもサンスクリット(梵語)を学ぶ人たちがテキストとして使っている文法書を著わした学者であり、ヨーガ修行者でもあった一人の行者の生 活ぶりを、私の師匠は私たち若いヨーガ修行者に説明して、私たちがヨーガを行ずる時にどの様な心がけを持って生きるべきかを示されたのです。更に師匠は、 その話を継いで次のように語られました。
「ところで、当時このカシミール地方を治めていた王の召使いや家来たちが、その聖者カイヤク師について次のように王に報告していた。
『シャリマール・バーグに住んでいるカイヤクという名前の行者はとても学識が深い聖者ですが、日々の身の回りの品にも困るような状態です。それにも拘わら ず、その行者は乞食に出ないばかりか、他人から何かを貰うということも一切しないのです。ですから王様、どうかその聖者を助けてやって下さい。あなたは王 であり、国民の上に君臨して統治されているお方なのですから、あなたからならばその聖者も援助を受け入れると思います』
この報告を聞いたカシミール王は、荷車の上に聖者カイヤク師が何年にもわたって使っても使い切れないほどの金銀や衣類などを載せて、自らその聖者の庵に 出向いた。そして低頭して聖者カイヤク師の前に進み出ると『貴き大師様。私はあなた様に金銀や食料などあなたが必要とするものを持って参りました。どうか お受け取り下さい』と告げた。
すると聖者カイヤク師は『私はあなたが持参されたお金や食料などは一切必要ありません。私が何かをさせていただいた見返りとしてのもの以外は、私は如何 なる贈り物も受け取りたくありませんし、第一、あなたが持参された品々を私は必要とはしていないのです。ですからどうかお持ち帰り下さい』と答えたのであ る。
しかし王は合掌して、『どんな物でもよいですから、この品々の中からお好きな物をお受け取り下さい』と、再度聖者にお願いした。そこで聖者カイヤク師は 仕方なく『私は本当に何も要りません。しかしそこまであなたがおっしゃるのなら、私の妻が家の中にいますので、妻に聞いてみて下さい。そしてもしも、妻が 必要だという物があれば、それを妻にあげてやって下さい』と答えたのである。
ところで、この聖者カイヤク師の妻はとても貞淑で徳性も高く、それに何よりも夫を信頼していたので、よく夫に尽くしていた。それ故に王がこの妻に頼み込んでみようと思ってその近くに行ってみると、聖者カイヤク師の妻は次のように言ったのである。
『王様。私の夫はたとえそれがどんなに素晴らしいと言われる物に対してでも、一切欲しいとも思わない力を身につけているのです。それに私も、それが王様で あっても乞食であっても、誰からもこれまでに何かを貰ったという事がないのです。私が必要とする物は全て、あそこに座っている夫から私は頂いています。で すから私はあなた様から何かをいただく立場にはありません。私が必要とする全てのものは夫から頂いています。私には欲しい物はありません。本当に何も必要 ないのです』この様に言って、この妻も何も受け取ろうとはしなかったそうである。
しかしカシミール王はどうしても諦めきれずに、もう一度聖者カイヤク師の居るところに戻って来て言ったそうである。
『貴き聖師様。私はあなたがこれほどまでにひどい窮乏生活を送られているのを見ると、非常に辛くなります。悲しくてならないのです』すると、聖者カイヤク 師は次のように答えたそうである。『分かりました。私たちはこれまであなたの統治されるこの国にあって、修行者の心得を初め、無執着を実践し、聖典を良く 学び、良く物事を考え、正義の思いを持って暮らしてきました。しかし、王であるあなたがこうした私たちの生き方を見るのが辛いとおっしゃられるならば、私 たちはこの地を去って、どこかよその土地に行くしかありません』このように言うやいなや聖者カイヤク師は、その所有する唯一の財産である書きかけの文法書 を手にすると、妻と二人してパンチャル地方へと移り、そこに居を定めたそうである。こうした生き方ができた聖者カイヤク師の心意気こそが、この聖者の名前 を今日まで知らしめることになっているのである」
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